証し

息子を何処の幼稚園に入れるか迷っていた時に、主人の会社の仲間から原町田幼稚園は躾が確りと行きとどいているとの事、その方の息子さんも原町田幼稚園に決めたとの事、「実際御主人の奥様のお姉さんの子がが卒業している」、何と確かな情報に我が家も即きめました。(胸に葡萄の刺繍がしてあるブレザ-の制服も魅力でした) 場所は後日見に来た次第です。当時は園バスもなく、自転車・電車・路線バス等々、車で来る方は数人でした。狭い入口の門で花岡牧師が一人一人の親子に笑顔で、お早うと迎えて下さり、さようならと送り出して下さる事が親子にとっても楽しい一時でした。

そんな過ぎし日々を思い起こさせるのも歳を重ねたのかも知れませんが、私にとっては幼稚園の存在が有ったが故に神様に導かれたのです。毎週水曜日に聖書の学びが有るとの事で、おそるおそる出席し初めて手にした聖書と讃美歌、あの驚きと感動は今も心の片隅に保存されています。聖書の中に何が書かれているのか、牧師の説きあかしに何故か目頭が熱くなり学びが終ると不思議にも肩の荷が軽く成り気持ちが落ち着きました。毎回母の会から10人程出席し毎回学びを重ねる度に神様は私達を愛して下さっているのだと・・・。母の会の聖書の学びの他にジーン・マクドナルド宣教師のバイブルクラスもありました。

合同のバザーでは手作りの物が好評で遅くまで準備に追われましたが、教会員の方々との交わりの中で身近な話を聞きながら作業をし得るものが沢山あり、礼拝にも出席して下さいね!と声を掛けて下さり礼拝に欠かさず出席し1974年12月22日花岡政吉牧師から洗礼を授けて頂きました。家族の反対もなく息子と主人が最後まで見届けてくれた記念する最良の日でした。受洗した後も主人の母が83歳の生涯の中で3回礼拝を共にし、クリスマスの礼拝が有るたびに礼拝には行けないが神様に献金を捧げてしてくださいと、明治生まれの頑固な一面の中にも3回の礼拝ではあるが何か心に残る宝物があったのかなと思います。私の古い聖書を何時も寝転がって読んでいましたので旅立ちの際に友として持たせました。

それからの生活はめまぐるしいテンポの中で仕事をしながら、主日礼拝を守るために365日休む事無く仕事に追いまくられて過ごしてきたのが若い時の至らない信仰生活でした。若い時の人生の其々の曲がり角では急なカ-ブも難なく曲がってこられたのだと思って過ごしてました。しかし歳を重ねて来ると、若い時の生活のテンポでは無理でして仕事の量を減らして、やりたい事も断念しなければならない部分が多々あります。これが老年期の免れない現実なのです。若い時の急カ-ブも老年期のスローなカ-ブも神様の憐れみなしでは曲がり切れないのです。

修養会でも第1回目の話合いの時に出た箇所がイザヤ書46:3~4節・神様に負われる人生、生れた時から、胎を出た時から、老いるまで、白髪となるまで、神様が人間をつくられたから必ず背負って下さる。神様に負われる生活は神様の愛を受けて神様によって生かされている者として隣人を愛し共に支え合って歩む事だと思います。

私共の生涯の順調な時も、逆境に立たねばならぬ時も常に背後に御手の働きを信じて今も私共のかたわらに立って御手を取って共に歩んで下さる神様、永遠に絶えることのない愛に感謝し、私共の罪の結果であるキリストの十字架を見上げて信仰生活が全うできるように御霊の導きを願う者です。

最後にヨハネよる福音書14章4節
  私は道であり、真理であり、命である
もう1箇所、箴言2章5~6節
  心をつくして主に信頼し、自分の分別に頼らず、
  常に主を覚えて貴方の道を歩け
  そうすれば主は貴方の道筋を真直ぐにして下さる。
!原点に戻されます!

(70代)

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