信仰告白

初めて教会に行ったのは、田舎の高校生の時でした。
礼拝は心洗われ、とても清々しいものでした。
北陸の長く厳しい冬に、手足がかじかんでも、教会に通うのは楽しみでした。 
それなのに、いつか離れてしまったのです。
その頃一緒だった同年代には、後に牧師になった方が二人もいたのですが、当時の私にはイエス様の復活が、どうしても信じられなかったのです。
牧師になった一人は、「霊的体験をするかどうかが、分かれ道だと思う」と言ってくれたのですが、その言葉は何となく頭に残りました。

それから、実に40年が過ぎたのです…
普通に生きたつもりでも、葛藤の多い人生だった事は言うまでもありません。
しかし、転機は今年訪れました。

それは、12年を費やしたある悩みに、ようやく希望の光が見えて来たという時、不思議な事に、ある日「いつくしみ深き友なるエスは」と、讃美歌が頭に浮かんできたのです。
思わず歌うと、涙がどっとあふれてきました。
そしてその時、心の奥底から、燃えあがるように、(教会へ行きたい!イエス様に会いたい!)という思いが、こみ上げて来たのです。
同時に、もう一点の曇りもなく、イエス様を信じられるようになっている自分に気がつきました。
それは、去年、実家の父が亡くなってから、私は霊的体験を何度もしていたからです。
そして、遂に8月の第4週、この礼拝堂への階段を、興奮気味に上りました。
40年のブランクの意味も、ここでの入門講座の中でわかりました。罪深い私には、孤独が骨身に染みるまで、40年、耐えて、成長する時間が必要とされたのだと思います。

しかし、やっと帰り道を見つけました。
私はこの先の人生を、もうイエス様の御言葉無しには歩けません。
こんな私でも、愛されていると知り、今度は愛を与える人になります。
他の人につくします。
イエス様が連れ戻して下さったこの道を、まっすぐに歩いてゆきます。

(50代)

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