主に招かれて
「それでは最後に先生。求道者の方に一言お願い致します」
私が原町田教会に通うようになって2、3ヶ月たったぐらいの時だったと記憶しているが特別伝道礼拝後、お招きした先生を囲んでのお茶の会の締めくくりに司会の方がそう先生にふった。
来た・・・私は眉間にしわをよせた。
その時の私はとても頑なだった。牧師の娘として生まれ、ずっと牧師館で育った私は当たり前のように礼拝には出席していたものの、いざ洗礼を!というお誘いになるとまったく受け入れられずにいた。みんなは勘違いをしている。牧師の娘だからって信仰心が厚いとでも思っているんだ。そんなことないのに・・・だから親元を離れて通うようになった原町田ではそんな牧師の娘だということなど関係なく洗礼という文字からしばらく遠ざかっていられると悠長に思っていたのだ。なのにこの質問・・・とても素直な気持ちでは聞くことが出来なかった。
その牧師先生はこんなふうに話をはじめられた。
「もしも大雨が降って洪水になり、家の屋根の上にやっとこさのぼって待っていたら助けの船が来る。そこで屋根に上っているあなたにさあ船に乗りなさいと言ったとする。そうしたらあなたはどうしますか?船に乗るのも乗らないのも自分の自由だ!と言って船に乗るのを拒みますか?そんなことしないでしょう。神様はここにいらっしゃい。ここがあなたの来るべき場所だと招いて下さっているのですよ。」
今までの自分の頑な思いがガラガラと崩れたように思えた。
ゲームのように、いろんなことをクリアしていかないとクリスチャンになれないと思っていた自分から、こんな意地をはって小さな私でも招かれている、赦されているという思いに変えられた。
洗礼が滴礼ではなく、浸礼だと聞いて少々後ずさりしたが、体全体で洗礼を受けることが出来てよかったと思う。ある姉妹は浸礼を受けた翌日に高熱を出し「毒がでたのね」と言われたとか・・・。
原町田教会に連なってからもう20年ほどになる。
その間、幼稚園の教諭をさせていただいたり、3人のこどもが幼稚園でお世話になり、そのままこどもの教会に今もつながっていることに本当に感謝している。今は、この大きな受け継がれためぐみを次の世代に伝えていきたい。
(40代)