信仰告白

今日受洗出来ますことは、こんな私にも、神様は一粒の種を蒔いて下さったからと思います。ふりかえって見ますと、子供の頃母に「神様のお姿は見えないけれど、あなたの行いはいつもごらんになっているのよ」と云われ、私も何となく神様の存在を信じる様になりました。我が家は曹洞宗なのに何故かマリア様の絵が飾ってありました。中学校はミッションを受験することになり、面接の時「キリスト教のことを学び、クリスチャンになりたいと思います」父に云われた通り答え、合格しました。

1年の時、担任は都会的でチャーミングな先生でした。国語の先生でした。「この讃美歌は父の作詞なの」と教えて頂き歌ったことが懐かしく思い出されます。初めての礼拝、聖書、讃美歌、宣教師の外国人3名、異文化に触れた様で何もかも新鮮でした。聖書を学ぶなかで好きなみ言葉は「求めよ さらば与えられん…狭い門より入れ…」自己流に解釈し、勉学の励みにしていました。

昭和35年結婚し上京しました。新しい生活を始めるに当たり、聖書と讃美歌は絶対必要と思い、持参しました。子供達の幼稚園は原町田幼稚園にお世話になりました。その間、お料理を教えていただいたり、又聖書を学び、バザーのお手伝いと皆様との交わりを深め、充実した日々を過ごすことが出来ました。家庭集会も行うことが出来ました。この時期、長男が統一教会と関わり苦悩の日々でしたが、祈りの中で道が示されたと思います。その後、息子は受洗することになりました。祈りは自分本位にならない様に、あくまでも神様のみ心ならばと祈りなさいと教えてくれた義姉の葬儀の日ともなりました。孫の病気「神様やっと誕生した大事な孫です。私の命にかえて助けて下さい」祈り、祈り続けました。幸いに孫は意識を回復し、私はまだ必要なのか生かされています。夫の死後、今前向きに生活出来ますことは神様の大きな愛とまわりの人たちの温かい支えがあったからと感謝しております。長い長い年月を経てようやく扉を開くことが出来ました。

これからは「主共にいます」ことを憶え、ただ従って行きたいと思います。蒔かれた種は大事に育て豊かに実を結ぶことが出来たらと願っております。又、今日の日を迎えられましたことは、皆様の祈りがあったからと感謝しております。今後ともご指導の程よろしくお願い致します。

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