証し

私は、クリスチャンファミリーに生まれ、育ちました。私のイエス様との出会いは、高校2年生の夏季キャンプでした。といったような、証としてお伝えできる劇的な経験はありません。今日は、生活の中で感じた神様の恵みをお話させていただきます。

私の名前の中の一文字は、マタイの福音書、そして、以前の讃美歌からとられたと聞いております。名は体を表すと申しますが、私の場合はまったく反対でして、その名にふさわしくなく、子供の頃は劣等感に苛まれる毎日、現在は毎日仕事のプレッシャーや恐れや不安に取りつかれています。

そこからなんとか逃れようと、毎日朝聖書を読んで祈る時間をとっています。その時間の中で「祈りの力 E・M・バウンズ」、「一日一生 内村鑑三著」、「朝ごとに C・H・スポルジョン著」の3冊を読んでいます。どれも、1日ごと1ページ読むようになっています。

今日は、この中から「朝ごとに」についてお話させていただこうと思います。この本はどこかで勧められて、アマゾンで中古を購入しました。著者は、1800年代のイギリスの伝道者の方です。私は会話や本が少し複雑になると理解できないので、本は必ず書き込みをしながら読みます。どうせ書き込むならと中古で購入します。

この本が手元に届いたとき、失敗したな。。。と思いました。ページに非常に多くの線が引かれていて、読みにくい。ひどいページは全部の行に線が引かれています。色も緑とオレンジといった強い色。いかに中古でよいといってもこれはひどすぎる。おまけに所有者の名前まででかでかと書いてあります。「2011年2月27日 いのちのことば社から購入 A(お名前)92才」。しかし、読みにくいとはいえ何千円か出して購入しましたので我慢して読み進めることにしました。

そして、読み進めて8月17日、この日はこれまでと違いました。まったく線が引かれていないのです。やはり線が引かれていないと読みやすいと一瞬ほっとしました。が、ふとそのあとのページをみたら、その日から後の日付のページはまったく線が引かれていませんでした。前の日のページまでの差があまりに大きく、何か変な感じがしました。少し考えて思い当たりました。8月17日を境にAさんは、この本を手に取れない状況になったのだろうということ。そして、再び手にとれる状態に戻れなかったのだろうということが。そして、Aさんは、92才でその状態になる前日まで、この本の言葉に共感し、励まされ、線を引き続けたということがそのときに初めて迫ってきました。今まで邪魔に思っていたその線の多さは、日々の恐れの中で、み言葉を求める思いの強さを私に感じさせました。そして、わたしと同じ思いでこの人もこの本を読んでいたのだということに気づきました。

Aさんが線を引いたところを見返しました。よく見ると、心に響いたところは緑、中でも強く心に響いたところはオレンジと決めているようでした。日毎に適当に色が使われているのではなく、線は緑とオレンジのペンを持ち替えられて引かれていました。例えば6月6日は、「もしあなたが罪を告白するならば赦される。もし今心の底から『私はつまらない者です。私を洗ってください』というならば、あなたは今、洗い清められる。」がオレンジ、ここで緑のペンに持ち替えて「もし聖霊があなたに『いさおなきわれを血をもて贖いイエス招きたもうみもとにわれ行く』と、心の底から歌わせるならば、」そしてそのあと緑にまた持ち替えて、「あなたは今朝の章を読み、すべての罪を赦されて立ち上がるであろう。」というように。「あるがままわたしを、血をもて贖い。。。」この讃美歌に1800年代に生きた著者が歌って励まされ、この文を書き、そしてその文を読んだAさんも同じ歌によって励まされているのでした。そしてそのことをみて私もまた励まされました。

信仰というのはこのように、御言葉をひとから人から伝えていくことで伝えられてきたのだと腑に落ちました。聖書を読んで誰かが心を打たれて線を引く。そしてそのことを見て、聞いた人がまた線を引く。そしてこれが教会の働きなのだと思いました。毎週聖書から御言葉を聞き、信仰の先輩方の信仰を見て聞いて、自分がまた信仰をあらたにされる。神様は私にこの中古の本によってそのことをしめしてくださいました。

「朝ごとに」は、二周目に入りました。わたしはAさんの書いた線の上から自分の線を引いています。

(礼拝後の「証し」にて) (50代)

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