信仰告白

私がこの度原町田教会でバプテスマを受けさせていただくことになったのはいくつかの重なった導きによるものです。まず私は中学校そして現在通っている高等学校がキリスト教学校であり、日頃から聖書や礼拝を通して神様と繋がっていました。しかし中学生だった私はただ黙々と礼拝をこなしているような感覚で信じる気持ちがまだありませんでした。
私の学校は「隣人愛」という言葉を大切にしていて、これは信じる気持ちのなかった私を変えた言葉だと思います。大きなきっかけとなったのは、高校生になってから学校以外のコミュニティを持ちたいという理由でボランティア活動を始めたことです。私が現在も行っているボランティアでは普段中々学校に行けない子や知的障がいを持った子どもたちの居場所となるように勉強を教えたり、一緒に遊んだりする活動をしています。たくさんの子どもと触れ合う中で喜びや学びを人に与えられていること。この事こそが「隣人愛」であり、「隣人愛」とは人生の中で最も大切な言葉だと気付いたのです。そしてこのような気付きの中で私が心に留まった聖書箇所として次のようなものがあります。

マタイ7:12
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」この聖書箇所は私に人生の歩み方を示し、神が共に歩んでくださることを強く確信しました。

そこから礼拝を通じて神様の御言葉に心を注ぎ、毎日の学校の礼拝と重ねて日曜礼拝でも神様に祈り感謝したいと思い、ここ原町田教会に通い始めました。初めて原町田教会に足を運んでから約1年が経ちます。教会の中でもたくさんの優しさを感じることができました。交読詩編がどれだか分からなかった時、どこに座ればいいか分からなかった時、どうすればいいか分からなかった時、そんな時にいつも近くにいた教会員の方々が優しく接してくださりました。原町田教会員としても皆さんとの信仰生活がより豊かなものとなるように祈り、歩んでいきたいです。キリスト教学校に通い、ボランティアを始めて、原町田教会に行くようになったこと、すべて神様の導きによるものだと思います。そして神様の導きによってたくさんの素敵な出会いを与えられたことを感謝します。
私にとって神様と共に歩むということはたとえ困難なことが待ち受けていたとしても、神様が共に居てくださることを信じることです。そしてその信じる心が希望の光になるのだと思います。

これからの人生でも様々な試練があると思います。そんな試練の中でも前向きに歩むことが出来るよう、新たな人生のスタートとなることを願って、バプテスマを受けることに決めました。どんな時でも愛してくださる方が共に居てくださる人生に不安はありません。まだまだわからないこと、知らないことはたくさんあると思います。バプテスマによって神様と共に歩む道が良い方向に向かうことを祈ります。

(10代)

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